home 八重 襄 八重&襄 八重 平清盛ゆかりの地を訪ねる

いよいよ函館から脱国に成功した新島襄。
上海を経由してアメリカへ向かい、新天地での生活が始まりました

襄の希望の地アメリカ

ワイルド・ローヴァーでアメリカへ

敬幹からJoeへ

元治元年(1864年)襄21歳の6月。 アメリカ船ベルリンは襄を乗せて西へ。
そして襄、初めての海外である中国・上海に接岸します。
しかし、ベルリン号はそのままUターンして長崎へ戻る予定になっていたため、ベルリンの船長W・T・セイヴォリーは、アメリカへ向かう米国商船ワイルド・ローヴァー(The Wild Rover)を襄に紹介してくれました。

襄は ワイルド・ローヴァーの船長ホレイス・S・テイラー(Horace S. Taylor)に侍の命である刀を渡して米国までの船代にしてもらおうとし、加えて船内での無賃労働を申し出ます。テイラー船長は快く応じ、襄はいよいよ米国へ向かうことになります。

一方、箱館から上海へ襄を乗せたベルリンの船長W・T・セイヴォリーは、脱国を幇助した咎で会社を解雇されてしまうのでした。それでもセイヴォリーは解雇された事実を襄に洩らさなかったといいます。

襄の辿った航路
▲当時はまだ太平洋航路が充分に開拓されておらず、
襄はインド洋経由でアメリカへ向かいました

船内で襄はテイラー船長のもとで働きました。敬幹(けいかん)という名前は外国人には発音しにくかったようで、船長は彼のことをジョー(Joe)と愛称で呼びました。これを気にいった襄は、以降自身をJoeと名乗るようになります。これが襄の名の由来。
また、船長は襄に英語や航海術を伝授します。とはいえ襄の英語力はまだまだで、借りた英語版の聖書を読み解くほどのスキルはありません。立ち寄った香港では残ったもう1本の小刀も船長に買い取ってもらってその金銭で漢訳聖書を購入し、長い航海の中でキリスト教への理解を深めて行ったのです。

商船ゆえにアメリカ直行とはゆかず、あちこちに寄港しながら、なんと1年がかりでワイルド・ローヴァ―はようやくアメリカ・ボストンの港に辿りつきました。

襄、ハーディーと出会う

ハーディーとの出会い

慶応元年(1865年)7月、ボストンに到着した襄でしたが、当時のアメリカは南北戦争が終結してまだ間もない時期で、国中が疲弊しており、職もなかなかない状態。
襄も路頭に迷うところでしたが、テイラー船長がワイルド・ローヴァーの船主を紹介してくれます。その船主アルフュース・ハーディー(Alpheus Hardy)はボストン有数の実業家で、これまでにも若者の学習支援を実施してきた人物。

襄が拙い英語で書いた脱国理由の文章を読んだハーディー夫妻はその志に感動し、襄の一切の世話を引き受けてくれました。それこそ実の子と同様に接し、略称のジョー(Joe)ではなく、ジョセフ(Joseph)と呼ぶようになります。
襄もまたそれをありがたく受け入れ、自らジョセフ・ハーディー・ニイシマ(Joseph Hardy neesima)とミドルネームにハーディーの文字を入れて改称しました。

新島襄とハーディー
▲新島襄とハーディー(Life and letters of Joseph Hardy Neesima (1891))

フィリップス・アカデミー入学

ハーディー夫妻の支援により襄はフィリップス・アカデミー(Phillips Academy)に入学しました。
フィリップス・アカデミーはマサチューセッツ州アンドーヴァーにある名門の中等教育校で、当時は男子校。ピューリタン(プロテスタント)教育に力を入れていたため、熱心なピューリタンだったハーディー自身もこの学校に入学した経緯があります。

フィリップス・アカデミー
▲フィリップス・アカデミー

とはいえ、なによりまず襄の英語力を向上させる必要が大いにあったため、ハーディーは校長に相談し、寮ではなくホームステイ生活をさせることを提案。校長はホームステイ先の候補にヒドゥン家を選んでその旨を伝え、襄が書いた脱国の理由文を読ませました。
ヒドゥン家の主人メアリー・エリザベス・ヒドゥン(Miss. Mary Elizabeth Hidden)はハーディー夫妻同様にその文面に強く心動かされ、襄を招き入れます。ヒドゥン家には彼女のほかに弟のディヴィッド(David)、叔母のアビゲール(Abigail Chandler)、神学生のフリント(Ephraim Flint)夫妻が住んでいました。慶応元年(1865年)10月頃の話です。

襄はまたたく間にヒドゥン家に気に入られました。襄のまっすぐな心と強い精神、勤勉さ、義理を忘れない信条…どれもがヒドゥン家の者の心を捉えたのです。
襄もまたメアリーを母のように慕いました。神学生のフリントもまた襄の良い家庭教師となり、襄の紳士ぶりに感心しています。

慶応2年(1866年)12月、襄はフィリップス・アカデミーに隣接するアンドーヴァー神学校の教会で洗礼を受けます。そして翌年には無事にフィリップス・アカデミーを卒業したのです。


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