home 八重 襄 八重&襄 八重 参謀!黒田官兵衛の決断 平清盛ゆかりの地を訪ねる

八重と知り合った襄。最初こそお互い気にも留めてなかったものの
半年ほどの間で急接近し、婚約にこぎつけます

八重と襄の婚約と井戸事件

八重と襄の婚約

同志社設立へ奔走する

明治8年(1875年)4月。木戸孝允に紹介状をもらった襄は京都府大参事(現在の副知事)の槇村正直と面会し、京都でのキリスト教教育学校設立を訴えました。槇村は襄の提案を受け入れて、覚馬を襄に紹介します。

覚馬はゴードンから「天道溯原」(てんどうそげん)を受け取ってキリスト教を学んでいたこともあり、襄の理念に大いに賛同しました。京都新政において教育は最大の重要要素。覚馬が目指すものときっかり一致したのです。

となれば学校を建設する土地を探す段階へ移るのですが、そこでも覚馬が助け船を出してくれます。
覚馬が以前幽閉されていた薩摩藩邸は京都の古刹相国寺(しょうこくじ)の土地で、いきさつは不明ですが幕末に相国寺が薩摩藩に6,945坪の土地を貸与したもの。明治になりその土地の貸与権を薩摩藩から受け継いだ覚馬は、襄に対して学校用地にすればよいと無償で譲ろうとします。さすがにそれは申し訳ないと襄が550ドル支払うことで決着しました。

相国寺
▲相国寺(京都市上京区今出川通烏丸東入相国寺門前町701)

現在でも同志社大学今出川校地の敷地の多くは相国寺の境内であり、キリスト教教育の学校の土地を仏教寺院が所有するというおもしろい状態になっています。(下地図黄色ピンが相国寺、紫色ピンが同志社大学)

土地の問題は解決し、次なる壁は開校の許可を得ることです。
8月、襄は京都府に対して私塾開業願を提出します。また神戸で布教をしていたアメリカン・ボードの宣教師ジェローム・ディーン・デイヴィス(Jerome Dean Davis)を講師として招き入れるための請願も同時にしました。

京都府の槇村正直は特に反対しませんでしたが、つづいては国の許可です。国となると今度は東京の文部省との交渉が必要になります。
そこで対峙したのは田中不二麿。田中の秘書兼通訳としてヨーロッパ視察に同行した間柄ですから、きっと良い返事をもらえると襄は期待していました。

しかし、京都は言わずと知れた仏教の地。キリスト教主義の学校の開設が、仏教徒や京都市民に混乱を与えるのではないかと田中は危惧します。
期待に反して色よい返事をもらえなかった襄はそれでも粘り強く交渉し、京都に混乱を招かないとの条件で、なんとか開校許可を得ることができました。

井戸事件

かたや八重ですが、女紅場で勤務しつつ、教育資金の援助を申し出に京都府庁へ出向くことがありました。府庁では槇村正直を相手に忌憚なく無理を承知で発言するものですから烈婦などと揶揄されるほど。

そんな八重をおもしろく感じたのか槇村は府庁に来ていた襄に対して、嫁を娶る気はないのかを質しました。
襄は「亭主が東を向けと命令すれば、三年でも東を向いている東洋風の婦人はご免です」と回答します。
意を得たりと、槇村は八重のことを話しました。八重と面識はあったものの、まだこのときの襄は「yes」と首を縦にふることはありません。しかし、その年の夏にちょっとしたハプニングが起こります。

夏の庭

暑い日の話です。八重は自宅で裁縫をしていましたが、少しでも涼しい方がいいと、井戸の上に板を渡し、その上に座って針を動かしていました。
井戸ですから誤って落ちてしまったら大怪我をします。たまたま覚馬に会いにやってきた襄はその光景を見てびっくり仰天

日本女性の常識を覆すお転婆ぶりに驚いた襄は、覚馬のもとに駆け寄り「妹さんが危ないことをしている。板が折れたら井戸へ真っ逆さまになる」と進言しました。けれども覚馬は涼しい顔で「ああいう大胆なことをする女なので仕方ない」と答えたのだそうです。

そのことがあってから襄は槇村の話を思い出し、八重が承知してくれるなら結婚してもよいかと思うようになったのだとか。

八重と襄の婚約

八重はゴードンから聖書の教えを学んでいましたが、襄が京都に滞在するようになってからはゴードンから引き継いで襄に聖書を習っていました。京都での襄の逗留先は三条大橋西詰の目貫屋という宿。八重は友人を引き連れて宿へ赴き、聖書について学ぶかたわら、会津での籠城戦のことなどを襄に話したといいます。
目貫屋は宿を廃業しており、今は4階建てのビルになっています。三条大橋から見て左手のコンビニ・ローソンがあるビルです。

8月、八重は女紅場を1ヶ月近く休職します。夏休みにしてはちょっと長めですが、この期間に八重は大阪と神戸に向かい、アメリカン・ボードの宣教師の家でホームステイをしました。
このホームステイでキリスト教についてさまざま会得した八重を見た襄に結婚への迷いはありません。八重に回心(かいしん・神に背いている自らの罪を認め、神に立ち返ること)を確証できたと襄ははっきり感じたのです。
八重の洗礼を待つことなく10月15日にふたりは婚約します。


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画像引用:京都デザイン(http://kyoto-design.jp/)