home 八重 襄 八重&襄 八重 平清盛ゆかりの地を訪ねる

いよいよ窮地に追い込まれた会津藩。東北諸藩とは結びつきを強めますが、
新政府軍の締め付けは強く、そして戦闘へ…。そのとき八重は?

八重が立ち上がる日

追いつめられる会津藩

白虎隊の誕生

新政府は東北を平定するために奥羽鎮撫総督府(おううちんぶそうとくふ)を結成し、最後の藤原氏の氏長者である公卿の九条道孝(くじょうみちたか)を総督に、長州藩士の世良修蔵(せらしゅうぞう)が下参謀となって活動を開始します。
しかし、総督府という仰々しい名前ながら、兵隊の数はわずか570人。これでは会津へいきなり攻め込むという真似はできません。そこで仙台藩に対し、会津藩を攻めるよう命令するのでした。

仙台藩からすれば迷惑な話であり、かといって背くわけにもいかないので、会津藩と戦闘をするふりをしつつ、署名で会津藩を窮地から救おうとします。
総督の九条道孝もまた、責任者の謝罪があれば会津藩を赦そうかとも考えていたのですが、会津藩は「鳥羽・伏見の戦いの責は徳川慶喜にあり、会津藩は関係ない」と頑なに態度を硬化させたままで双方は妥協点を見いだせません。

さらに会津藩は新政府との交戦も視野に、藩内の軍備再編を実施。フランス式の軍制を敷き、年代別に隊を組みかえます。
50歳以上は「玄武隊」、36歳以上は「青龍隊」、18歳以上は「朱雀隊」そして、16歳と17歳の者が配属されたのが白虎隊(びゃっこたい)です。

白虎隊記念館
▲白虎隊記念館(福島県会津若松市一箕町八幡弁天下33)

仙台藩の先走り

慶応4年(1868年)閏4月11日、奥羽列藩同盟による会議が白石城で行われ、連名での嘆願書を作成します。
翌日、総督の九条道孝に対し嘆願書を渡そうとしますが拒まれてしまいます。長時間に渡る「受け取れ」「いや受け取れない」の押し問答の末、半ば無理やり嘆願書を渡されてしまった道孝。

下参謀の世良修蔵は京へ向かって新政府に状況を説明し、奥羽列藩の態度をあげつらいました。元来強硬主義だった世良の対応は、仙台藩の目にも怪しく映ったようです。もしや、世良が新政府と奥羽列藩の仲違いを助長させているのでは??と。

そしてその予感は当たってしまいます。
世良が送った密書が福島藩に渡りました。その密書には「奥羽は皆敵であり、攻撃する」とあったのです。内容に驚いた福島藩は新政府寄りの立場を翻し、仙台藩にもその旨を伝えたのです。

世良修蔵
▲世良修蔵

勢い余った仙台藩は世良を暗殺してしまいます。こうなると新政府との敵対は決定的な物となり、奥羽列藩同盟は会津藩・庄内藩の朝敵の赦免嘆願という目的から軍事同盟へと変化していきます。
しかし、各藩の思惑の違いもあり、同盟はあまり機能しませんでした。

白河口の戦い

福島県白河市の白河城は城主不在の幕府直轄の城でしたが、新政府樹立後は仙台藩が駐屯していました。場所柄、白河は東北への道中にあたることから、ここを死守せねば勝てないと、会津藩は白河城に進軍し、仙台藩も素直に明け渡します。
白河城が会津藩の手に渡ったと知った新政府は軍勢を派遣し、両軍は戦闘になりました。

1868年(慶応4年) 白河口の戦い

最初こそ会津藩・仙台藩の同盟軍が有利に戦いを進めていましたが、形勢は逆転して白河城を奪われてしまいます。
同盟軍は城を奪還すべく兵を増やしますが新政府軍も大いに対抗して、戦闘は100日近く続きました。それでも結局白河城が再び同盟軍の手に渡ることはなかったのです。

白河小峰城
▲白河小峰城(白河城・福島県白河市郭内1)

さらに新政府軍は二本松城も攻略し、徹底抗戦をし、少年兵まで動員して対抗した二本松藩は敢え無く大敗してしまいます。
そして勢いづいた新政府軍はとうとう会津藩境にまで進軍。慶応4年(1868年)8月21日、母成峠(ぼなりとうげ)の戦いが発生しました。

会津藩軍800人、新政府軍3,000人と戦力の差ははっきりとしていた上に、会津藩に良い感情を持たなかった地元民が新政府軍の味方をし、会津藩軍は総崩れをおこします。
とうとう新政府軍が会津藩内に進攻を開始したのです。

母成峠古戦場碑
▲母成峠古戦場碑 (福島県郡山市・猪苗代町境)

立ち上がった八重

会津藩軍の動静は22歳になった八重の耳にも当然届いていました。早くも6月頃からは戦闘に備え、八重は父から禁止されていた銃器の訓練を再開します。

すぐ近所に住んでいた少年、伊東悌次郎(いとうていじろう)は白虎隊に入隊するには年齢が1歳足りなかったため悔しがり、八重のもとへ射撃の練習に訪れます。
八重は「ゲベール銃」を悌次郎に貸し、機織りをしながら射撃を教えたのだとか。

それでも最初のうちは引き金を引くたびに雷管の激しい音で目を閉じてしまうので八重は「臆病、臆病」と叱りつけたそうです。
追って悌次郎にさまざまな撃ち方を会得させた八重は、射撃の邪魔になると悌二郎の下髪をバッサリと切り落とすのですが、伊東家に何の断りもなくそんなことをしてはいけないと、八重は母のさくからこっぴどく叱られました。

そして銃器の扱いに慣れた悌次郎は年齢を偽って白虎隊に入隊するのです。


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