home 八重 襄 八重&襄 八重 参謀!黒田官兵衛の決断 平清盛ゆかりの地を訪ねる

苦戦する会津藩。若松城に籠城した八重は断固抗戦を誓い、
断髪して新政府軍との戦闘に加わるのです。

八重の断髪とスペンサー銃

白虎隊の悲劇

十六橋の戦い

母成峠の戦いを制した新政府軍はそこで一時休息をとる部隊と、兵の歩みを進める部隊とに分かれます。
猪苗代湖を過ぎたところにある十六橋(じゅうろっきょう)は弘法大師が16の塚を作り橋を架けたことによる歴史ある橋で、猪苗代湖から流れ出る日橋川に設置された堅固な石橋。会津若松城下町へ入るための関門でもあります。この橋を落としておけば新政府軍は会津若松の鶴ヶ城へ進むことが難しくなるため、会津藩の僧侶を集めた民兵隊である奇勝隊の面々が橋の爆破を手掛けました。
しかし、雨天のため爆破はままなりません。

奇勝隊がもたもたしているところへ、母成峠で休息をとらずに進軍してきた新政府軍が現れ、一斉射撃を受けてしまいます。なすすべもない奇勝隊は撤退を余儀なくされました。

十六橋
▲現在の十六橋(福島県猪苗代町/会津若松市)

戸ノ口原の戦い

敗北を重ね、次々に拠点を突破された会津藩の軍。中心戦力となる軍勢は各地での戦線に出陣していたため、本丸である鶴ヶ城を警護するのは残っていたさほど多くない兵だけです。ましてや十六橋も新政府軍の手に落ちたとあれば、なりふりかまってはいられません。
ついに予備隊である少年兵の白虎隊にも出陣の号令がかかるのでした。白虎隊は藩主・松平容保を警護する隊と、戦地へ赴く隊の2隊に分かれます。

十六橋のすぐ西、もう若松の城下町までほど近い戸ノ口原(とのくちはら)において白虎隊を交えて戦闘が開始されます。塹壕の中から新政府軍を砲撃し、大砲の応援もあったため一時は会津藩軍の優勢もうかがえましたが、多勢に無勢であることは変わりなく、撤退します。

白虎隊は命からがらの体で鶴ヶ城を目指しますが、飯盛山(いいもりやま)まで辿りついたところで、眼下に火の手があがるのを発見。この火は日新館が新政府軍の手によって拠点として使用されることをおそれ、会津藩自ら火を放ったものでした。
ところが、その炎を鶴ヶ城の落城だと思いこんだ白虎隊の面々20名はもはやこれまでと自害してしまうのです。
なお、この炎は日新館炎上ではなく、城内の米蔵の放火の炎だとする説もあります。

白虎隊士自刃の地
▲白虎隊士自刃の地(福島県会津若松市一箕町八幡飯盛山)

自害した者のうち、飯沼貞吉(いいぬまさだきち)は急所を外したおかげで死なずに済み、会津藩士の妻、印出ハツに救助されて一命を取り留めています。

後の世に飯沼が語ったところによると、鶴ヶ城に戻り新政府軍との交戦を訴えるグループと敵陣で玉砕を主張するグループに意見が分かれたものの、どちらにせよ20人という少数では焼け石に水だと悟り、敵に捕まって行き恥を晒す人生を送るよりは自害した方が良いとの結論に至ったのだそうです。

白虎隊十九士の墓前
▲白虎隊十九士の墓前(福島県会津若松市一箕町八幡弁天下)

鶴ヶ城籠城

八重、スペンサー銃を担ぐ

白虎隊の自害があった日の前日、慶応4年(1868年)8月22日。朝、会津藩は母成峠での敗戦を受け、城下の一軒一軒にお触れを伝えます。それは鐘の合図があったら城内に避難し、籠城せよというものでした。
母のさくは女が城に入っても足手まといになるだけだと、市外への避難を思い付きますが、八重が城に籠城しての徹底抗戦を主張して役人も同調したため、さくもそれに従うことに。

また八重は自宅で飼っている馬に乗ってかっこよく入城しようと思い立ちますが、そんなことをしている場合ではないと逆に役人に諭されて徒歩での入城となりました。

翌日早朝。おふれどおりに鐘が城下に響きます。響いたのは鐘の音だけではありません。新政府軍による大砲音や銃声が轟いていました。

鶴ヶ城
▲復元された鶴ヶ城(福島県会津若松市追手町1−1)

私は弟の敵をとらねばならぬ。私すなわち三郎だという気持ちで、一は主君のため、一は弟のため、命の限り戦う決心」と八重は亡き弟の三郎の形見である紋付き袴を纏い、腰には刀を挿し、兄の覚馬が長崎で購入したスペンサー銃を担いで、城へ向かいます。
さくと、覚馬の妻うら、娘のみね(峰)を伴っての行動でした。

既に城下では新政府軍の攻撃が始まっており、鉄砲の弾が飛び交う事態。八重の耳元にも流れ弾がかすめ、一瞬ひるんでしまいます。
そんな八重を「それでも藩士の家族か」と叱咤激励したのは、母のさくでした。

ようやく鶴ヶ城に入った八重たちでしたが、城の門が閉められてしまったために、中に入れず市外へ避難したり自害した町民もいました。
八重の幼馴染の日向ユキもそのひとりで、閉門に間に合わずやむなく郊外へ避難します。

八重、断髪する

城に入った八重は夫の川崎尚之助と合流します。そして城の兵士と協力の上で石垣の石を落とし、その穴に大砲を設置して新政府軍を攻撃。この砲撃はなかなか正確で、新政府軍が一旦兵を退けるほどでした。

しかし、城の中での女性の仕事は炊飯と負傷した兵の看護、そして弾薬の製作が主なもの。血気盛んな八重は本格的に戦闘に参加したいと考え、藩主・松平容保に訴えかけるのです。
とはいえ、当時の会津では戦に女の手を借りることは藩の恥だと考える風潮が強く、八重の訴えは退けられてしまいます。

鶴ヶ城天守からの眺め
▲鶴ヶ城天守からの眺め

やむをえず負傷兵の手当てにまわる八重でしたが、どうしても諦めきれません。そんな折に八重は新政府軍に夜襲を仕掛ける作戦のことを耳にしました。

夜襲ともなれば、真っ暗闇で姿もよく見えはしまい、ならば男装すれば兵の中に紛れこめるかもしれないだろう…突飛な発想ではありますが、思い立ったら即行動の信念からか八重はすぐに男装の準備をはじめました。

なにより目立つのはその長い髪。八重は幼馴染の高木時尾(ときお)に頼んで髪を切り落としてもらいます。
短髪となった八重は刀を挿して銃を持ち、奇襲兵たちに紛れて城外へ出て行ったのです。


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画像引用:うつくしま観光プロモーション推進機構(http://www.tif.ne.jp/jp/photo/)
福島県観光交流課(http://www.yae-mottoshiritai.jp/)